【往復書簡】言葉になりそこねてからのZINE #1


並べられたフリーペーパー『HOWE』の表紙。
並べられたフリーペーパー『HOWE』の表紙。

壺さん

 

はじめまして、タテイシナオフミと申します。

ZINE(ジン)をメインテーマとした往復書簡をウェブ上で公開するということで、読者の目を意識しながら手紙(というかメール)を書くということに初めてトライしてみようと思います。

 

細かい自己紹介のようなものは、今後のなりゆきにまかせてその時々のタイミングで「自分はどういう人か」が語られるほうがいいでしょうから、今回のメールではあまり深掘りして書かないでおきます。でもこれを読んでくれる人たちの存在は意識しておきたいので、最低限のアレコレは共有したいと思います。

 

まず私は1977年生まれで、いまは大学の事務職員として暮らしています。高校時代の終わりに自作のフリーペーパーを作ったことから、その後ZINEというものに出会い、ごくごく小規模に活動をしてきたけれども、最近は本当に何も作っていない、作れていない、たまにブログを書くだけの単なる中年になってしまっています。

 

この「井戸端人類学F2キッチン」は私の母校の大学(そして今は勤め先でもあります)でのさまざまな人々によるつながりによって動いているもので、主宰者の一人である水口さんの企画(というか往々にして彼の直感的な思いつきなんだろうと推察されますが)により、私がZINEについて往復書簡を書くということとなり、そうして年齢が二回り近くも若い壺さんをご紹介いただいたわけです(壺さんはそもそも私たちの大学とは直接関係がないところで、ひょんなことによりこの「F2キッチン」に関わることになったとのことで、そのあたりのことはまた壺さんご自身から書いてもらえるものと期待しています)。

 

壺さんとは先日オンラインではじめてお話をさせていただき、この企画の進め方について打ち合わせをしたわけですが、お互いが作ったZINEなどはまだ読んでいないものの、ひとまずその状態のままでこの往復書簡を始めてみましょうということになりました。なので、今後私たちのやりとりのなかで、相手の作ったZINEについて感想を述べ合うような機会があることも楽しみにしています。

 

・・・といったことがこの往復書簡を始めるにあたっての背景ですが、それに加えて「ZINEとは何か」についても触れておかねばならないかと思います。とはいえZINEを定義することは難しく、とりあえずの説明として「個人の自主制作による出版物、もしくはそれに近いもの」と言うしかないかなと思っています。

 

そして私の捉え方としては、モノとしてのZINEだけでなく、それを作るプロセス、つまり「誰からも頼まれていないし、必要ともされていないけど、個人から立ち上る自発的な意欲のもとに、さまざまな条件をすべて自分(たち)で設定して作り上げて複製したものを、自分(たち)の力で他者に届けること」という行動的な部分をひっくるめた概念みたいなものとして、ZINEという言葉があるんじゃないかという気がしています。このあたりはまた今後いろいろと語りあうことにもなるかなと思います。

 

さて、そんなわけで今回はじめてのメールでは「いつ、どういうきっかけで“ZINE”という言葉に出会って、意識するようになったか」ということに触れてみたいと思います。

 

実は私がZINEという言葉と出会うことになったのは、まさに母校の大学における「F2キッチン」がきっかけだったと言えるのです。

 

当時の私は別の学科にいたのですが、この「F2キッチン」というのは主に文化人類学科の学生や先生たちが交差するエリアで、小さい新設大学だったこともあり、私もこの空間になじませてもらっていたのでした。そして学部を出たあとにあれこれと進路に迷い、空白の日々を過ごしていた時期があって、やがて専門を変えて他大学の大学院で社会学を専攻するために準備をするようになって、それが2001年ごろのことです。

 

それとともに、私は高校時代から趣味で作り始めたフリーペーパー『HOWE』というものがあり(このことはまた別の機会に改めてじっくり説明したいです)、主に身近な友人たちに配布する程度のものだったのですが、ちょうど大学の終わり頃ぐらいからは、「誰が読んでも楽しめるものにしよう」という意識が芽生えてきて、少しずつ(気恥ずかしさを乗り越えて)パブリックに配布できるようにしていったのでした。

 

で、いったいどういう経緯でそうなったのかは今となっては思い出せないのですが、その2001年ごろに、文化人類学科に当時おられた白石さや先生と、フリーペーパーのことについて少しだけお話する機会があったのです。

 

私は違う学科だったので白石先生の授業を受けたことはないのですが、楽しげな文化人類学科のことは横目でそれなりにフォローしていたので、白石さや先生がアジア圏における日本のアニメなどのポップカルチャーについて研究をされていて、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を翻訳された著名な先生だということは(読んでないけど)知っていました。なかなか個人的に関わる機会はそれまでなかったのですが、そんな白石先生となぜかどういうわけか、フリーペーパーの話をさせてもらう状況が一度だけあったのです。

 

そのときに白石先生から、「あなたのやっていることは、海外では“ジン”、MAGAZINEの語尾をとって“ZINE”と呼ばれている」ということを教えてもらったのです。

 

白石先生のその言葉を受けて、当時の私は「海外でも同じことをやっている人がいるらしい」という、まずはその事実に大いに揺さぶられたのでした(冷静に考えたらそんなのは当たり前のことなんですが、それまで私は自分以外にフリーペーパーを作って配るような人たちとはまったく出会ったことがなかったので、そのインパクトがあったわけです)。

 

そして「ジン」という言葉で、私が自己流でやってきたフリーペーパー趣味がひとつの枠組みで捉えられるということの、なんともいえない不思議な感覚がありました。

 

さらに白石先生からは、ZINEについて取り上げた研究書があったはずだということもそのときに教えてもらったのです。

それを聞いてさらに驚き、当時まだ私にとっては目新しいサービスだったAmazonで探して購入したのが、Stephen Duncombe著Notes from Underground: Zines and the Politics of Alternative Culture でした。 出版年をみると1997年ですが、今回改めて調べるとこの本はその20年後に改訂版も出されているようです(でもペーパーバッグの装丁デザインは初版のほうが圧倒的にカッコいいです)。

 

で、本を手に入れたものの当然ながら私の英語力ではうまく読みこなせないわけですが、それなりにザッと中身を見てかろうじて理解できたのは、ZINEはアメリカにおける1930年代あたりのSF小説のファンたちによる自主制作雑誌と、それを流通させるカルチャーを源流とし、やがてロック音楽やスケートボードの愛好家などにも展開していく・・・という、なんとなくの歴史的な部分でした。自分のやっていることが、どうしてSF小説やパンクロックなどの事象につながっているのか、当時の私からすればまだピンとこないわけですが、そのことはやがていくつかの活動を経るにつれて、体験的に分かっていった部分もありました。そのあたりはまた今後少しずつメールのなかで書いていければと思います。

 

今の私からすると、この本の題名そのものをよく吟味すれば、それが内容の見事な要約になっているような気もします。『アンダーグラウンドからの記録:ZINEをめぐるオルタナティブ・カルチャーの政治性』とでも訳してみると、やっぱりとても面白そうなので、本当はもっと気合いを入れてきっちり読むべきでした(笑)

 

当時の私がその本をすぐに手に入れたかった理由はもうひとつあって、社会学の研究テーマとしてZINEやフリーペーパーのことを取り上げることができるかもしれないとも思っていたからでした。ただし結果的にこのテーマは断念し、翌年から入ることになる大学院では「都市空間における落書き(グラフィティ)」をテーマにして自ら苦難の道のりを選び(笑)、調査結果をもとになんとか修士論文を書きました。この研究テーマは、言い換えると「自己表現と違法行為の境界線、グレーゾーンとはどういうものか」を考えることになったわけですが、今思えばZINEが果たす機能にも通じるものがあるかもしれませんね。ともあれ、この落書き研究のことまで説明しだすと非常に長くなるので、また機会があれば、ということで。

 

そんなわけでして、私にとって「ZINE」という言葉をめぐる探求の旅の出発点は、奇しくもこの「井戸端人類学F2キッチン」が憧憬している、当時の大学の「F館の2階」から始まったのでした。「学恩」というと大げさですが、少なくともZINEのことを考えていくうえでは、私は白石さや先生にある種の恩義を感じていますし、学生時代から親しんでいた「F館の2階」が自然発生的に育んでいたある種の雑多な関わり合いの恩恵を受けていた自覚があります。そういうこともあってか、「ZINEについての往復書簡を書きませんか」という、ハタからみたら「なんだそれ?」と思える今回の水口さんからの提案も二つ返事で引き受けたというのがあるかもしれません(笑)。

 

初回から長い文章になってしまい恐縮ですが、壺さんはZINEという言葉にはじめて出会ったときのことは覚えていますでしょうか? よければまた教えてください。

 

2023年12月 タテイシナオフミ