暴力の拒絶はかえって暴力を呼び込んでしまう、という問いから始まる暴力論。暴力の構造と資本主義との関係、暴力を暴走させるための暴力、非暴力を制度に回収させないための反暴力という地平という視点まで含めて、大いに学びのある本。またソローについての補論もよい。生きるということが暴力からは逃れられないということをきちんと認めた上で、サパティスタが提示したように、アナキズム的に制度的暴力を解体していく方法を今こそ真剣に取り組んでいく必要があると痛感する。
(あるぼりーと)
目次
序
第一部 暴力と非暴力
第1章 暴力という問題の浮上
1 ある二つの物語
2 暴力のあたらしいパラダイム?
第2章 暴力と非暴力
1 マーティン・ルーサー・キング:非暴力と敵対性
2 マルコムX:暴力の前ー個体的政治学
3 自己憎悪からの解放:マルコムX、フランツ・ファノン、マハトマ・ガンディー
4 革命的攻勢か、民衆的防御か:ブラック・パンサー党
第3章 敵対性について
1 ハンナ・アーレントによる暴力論批判
2 ニーチェの仮面をかぶるフーコー
3 敵対性と<政治的なもの>
第二部 反暴力の地平:主権、セキュリティ、防御
第1章 セキュリティ:恐怖と暴力
1 恐怖という病
2 恐怖の転位
3 肛門と暴力
4 統治形態としての恐怖(テロル)
5 不安と恐怖
第2章 防御と暴力:「ポスト人民戦争」の政治?
1 『バトル・ロワイアル』と社会契約論
2 敵対性と防御
「テロリズム」とスペクタクル
絶対的敵対関係と相対的敵対関係
クラウゼヴィッツとゲリラ戦
ポストフォーディズムの時代における抵抗権
3 「疑似非暴力状態」と反暴力
むすびにかえて 『仁義なき戦い』:生と暴力の残酷さ
補論 ヘンリー・デイヴィッド・ソローと「市民的不服従」について
あとがき
コメントをお書きください