この7月の参議院選で、「日本人ファースト」という言葉が物価高や低賃金により生活不安を実感する人々の「心に刺さった」ことが、新進の保守派政党の躍進に弾みをつけたといわれている。刺さった言葉の針からレイシズムという毒がじわじわと広がっていくことが懸念される今、この本がその解毒剤のひとつとなることを期待したい。
本書は、さまざまなルーツの人々が集まる大阪・島之内の外国ルーツの子どもたちと彼らを支える「支援教室」の人々の日常に焦点をあてた、玉置氏の長期にわたるボランティア体験記である。本書のポイントは、まさに著者がタイトルにこめた「移民」という視点と「隣に座る」という姿勢にある。「外国人」や「外国ルーツ」という言葉は「国」を視点の基盤においており、そこには線引きの暴力が潜んでいる。これに対して、「移民」という言葉は、境界を越えて「移動する人」を視点の基盤におく。また、隣に座るということは、子どもたちと目線が同じ高さであること、そして、子どもたちが「必要」なときにそこにいることを意味する。
本書では、自身もまた移民として暮らしたロンドンの支援教室での体験や、コロナ禍という「危機」における島之内の移民とその子どもたちの変化も語られる。それらをも踏まえて、筆者は移動してきた人たちと共に暮らす私たちマジョリティに、国家・国境・国籍といった枠組みを当たり前で絶対のものだと考えるのではなく、さらには「外国人問題」を掲げた移民排斥や「郷に入れば郷に従え」という同化主義に代わる第三の道を探ることによって、自らもまた変化する覚悟を突きつける。ひとつひとつの支援教室は小さな場である。そこでの子どもたちとの関係は基本的に一対一である。しかしそうしたささやかな場こそが、マジョリティの人々が移動してきた人たちと共に暮らす知恵や経験を蓄積し、子どもたちが自尊感情をもって社会的成功への意思を受け継いでいくことができる環境をつくりだす最前線であること、支援学級のような場を必要とする子どもたちはマジョリティのなかにもいること、そしてこうした場を広げていくことから始まる未来社会の可能性について、改めて考えさせられる。(杉本星子)
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大阪のミナミ、道頓堀の少し東に位置する島之内は、今は人口の1/3は外国人という地域だ。そしてそれは同時に、学校教育の中でも外国にルーツのある子どもたちが非常に多く、そうした子どもたちの中には日本の社会/教育に溶け込めない子どもたちもいることになる。そういう子どもたちの居場所になり、疎外されないための教室に通い続けた著者が、その現場がどのような人びとによって作られ、継承されているのか、そして子どもたちが生きる現実を解きほぐしていく。より学びたいと留学したロンドンでの事例と比較しながら、人種やルーツを越えた人間としての関係性でつながる場の重要性を問いかける。排外主義を利用したファシズムが立ち上がろうとしている今だからこそ、読んで考えたい一冊。(あるぼりーと)
目次
プロローグ
第一章 大阪ミナミの教室で
1.島之内の地政学 2.教室ができるまで 3.教室との出会い
第二章 教室につながる子どもたち・親たち
1.心の居場所 2.言葉の壁、心の壁 3.学校へ行きたい 4.「違い」を主役に 5.「日比」のはざまで① 6.「日比」のはざまで② 7.めぐる越境の歴史① 8.めぐる越境の歴史② 9.ルーツとルーツ
第三章 教室を形づくる大人たち
1.「解放教育」というルーツ 2.「民族学級」というルーツ 3.「帰国者支援」というルーツ 4.「ダイレクト受験:というルーツ 5.ボランティアの「多様性」 6.学校とともに① 7.学校とともに② 8.地域の同志 9.取材という媒介
第四章 ロンドンの教室で
1.ロンドンへの旅 2.ソールズベリーワールドができるまで 3.教室につながる子どもたち 4.教室を形づくる大人たち 5.学校とともに 6.家族を支える 7.ロンドンとのお別れ
第五章 コロナ禍という「危機」
1.島之内で起きた変化 2.仕事を失った親たちに 3.学校へ行けない子どもたちに 4.危機下の「ユートピア」
第六章 「支援教室」という場所
1.移民家庭の「文化変容」 2.「支援教室」とは何か
エピローグ
参考文献リスト

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